Wanda De Sah (vo) ワンダ(ヴァンダ)・ヂ・サー
略歴
ワンダ(ヴァンダ)・ヂ・サー (Wanda De Sah 本名:Wanda Maria Ferreira de Sá ヴァンダ・マリア・フェレイラ・ヂ・サー 1944年7月11日~) は、ブラジル・リオデジャネイロ生まれの女性ボサノヴァ歌手、ギタリスト。
1969年から1982年まで、歌手・作曲家のエドゥ・ロボの夫人だった。
(青木高見)
【INDEX (リーダールバム)】
【INDEX (共演アルバム)】
【以下コンテンツ】
Wanda de Sah / Vagamente (BOM 506)
(注) このアルバムはワンダ(ヴァンダ)・ヂ・サーのリーダーアルバム扱いとしています。
「 ブラジル音楽 」 でも同じ内容を掲載しています。
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Released : 1964
Personnel :
Wanda de Sah (vo)
Roberto Menescal (prod)
Song name :
01. Adriana
02. E Vem O Sol
03. Encontro
04. So Me Fez Bem
05. Mar Azul
06. Tambem, Quem Mandou
07. Tristeza De Nos Dois
08. Vivo Sonhando
09. Sem Mais Adeus
10. Inutil Paisagem
11. Tristeza De Amar
12. Vagamente
※ コメントの無断引用・無断転載を禁じます。
メインコメント : ワンダ(ヴァンダ)・ヂ・サー (Wanda De Sah 本名:Wanda Maria Ferreira de Sá ヴァンダ・マリア・フェレイラ・ヂ・サー 1944年7月11日~) は、ブラジル・リオデジャネイロ生まれの女性ボサノヴァ歌手、ギタリスト。
アルバムはワンダ(ヴァンダ)・ヂ・サー、1964年、BOМ(ボンバ)・レコード・レーベルからのリリース、ファースト・アルバム。
この後にリリースされた 「セルジオ・メンデスとブラジル'65 (The Sergio Mendes Brasil'65)」 にゲストとして参加した事で一躍有名になった。
いったい彼女は誰だ、という事で、人気が逆戻りして、当デビュー作には高値が付いた。
レコード会社も彼女を売り出そうとした 「セルジオ・メンデスとブラジル'65 (The Sergio Mendes Brasil'65)」 のジャケットにワンダ(ヴァンダ)・ヂ・サーの名前が大きくクレジットされている事でもわかる。
彼女のこの歌唱が後に続く多くのミュージシャンに多大な影響を与えた事は言うまでもない。
(青木高見)
Wanda de Sah / SoftLy! (TOCJ-66625)
(注) このアルバムはワンダ(ヴァンダ)・ヂ・サーのリーダーアルバム扱いとしています。
「 ブラジル音楽 」 でも同じ内容を掲載しています。
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Released : 1965
Personnel :
Wanda de Sah (vo)
Jack Marshall (orchestra)
[Sergio Mendes]
Sergio Mendes (p)
Rosinha De Valenca (g)
Sebastiao Neto (b)
Chico Batera (ds)
Song name :
01. Ho Ba La La
02. Sweet Happy Life
03. Quiet Nights
04. Aruanda
05. The Dreamer
06. So Danco Sambo
07. Once I Loved
08. Who Knows
09. Tem Do
10. With Feeling
11. Agua De Beber
※ コメントの無断引用・無断転載を禁じます。
メインコメント : ワンダ(ヴァンダ)・ヂ・サー (Wanda De Sah 本名:Wanda Maria Ferreira de Sá ヴァンダ・マリア・フェレイラ・ヂ・サー 1944年7月11日~) は、ブラジル・リオデジャネイロ生まれの女性ボサノヴァ歌手、ギタリスト。
アルバムはワンダ(ヴァンダ)・ヂ・サー、1965年、キャピトル・レコード・レーベルからのリリース、セカンド・アルバム。
バックは、ピアノがセルジオ・メンデス、ギターのホジーニャ・ヂ・ヴァレンサ、ベースがセバスチャン・ネト、ドラムがシコ・バテーラ。
1964年のファースト・アルバム「ヴァガメンチ」、1965年のこのアルバムがセカンド・アルバム。
1965年のセルジオ・メンデスとブラジル'66への参加、純粋無垢(じゅんすいむく)で、あどけなさが残る21歳の少女。
夢はアメリカの音楽ビジネスに巻き込まれブラジルに帰国し歌の世界から引退してしまった。
今でこそ、多くのアルバムが発表されているが、当時はセンセーショナルな出来事だった。
ヴィブラートを付けない独特な歌唱、清楚でキュートさが魅力。
ブラジル音楽史の中でも記録される重要なアルバム。
(青木高見)