Vic Dickenson (tb) ヴィック・ディケンソン
略歴
ヴィック (ヴィクター) ・ディッケンソン (Vic (Victor) Dickenson 1906年8月6日~1984年11月16日) はアメリカ合衆国オハイオ州(Xenia)キセニアもしくはクセニア生まれのジャズ·トロンボーン奏者。
〈青木高見)
【INDEX (リーダーアルバム)】
【INDEX (共演アルバム)】
【以下コンテンツ】
Vic Dickenson / Showcase (200E 6851/2)
Recorded :
December 29, 1953
November 28, 1954
Song name :
[Disc 1]
Rec : December 29, 1953
01. Russian Lullaby
02. Keeping Out Of Mischief Now
03. Sir Charles At Home
04. Jeepers Creepers
05. I Cover The Waterfront
Personnel :
Vic Dickenson (tb)
Edmond Hall (cl)
Ruby Braff (tp)
Steve Jordan (g)
Sir Charles Thompson (p)
Walter Page (b)
Les Erskine (ds)
[Disc 2]
Rec : November 28, 1954
01. Running Wild
02. When You And I Were Young, Maggie
03. Nice Work If You Can Get It
04. Old Fashioned Love
05. Everybody Loves My Baby
06. Suspension Blues
07. You Brought A New Kind Love To Me
Personnel :
Vic Dickenson (tb)
Edmond Hall (cl)
Shad Collins (tp)
Steve Jordan (g)
Sir Charles Thompson (p)
Walter Page (b)
Jo Jones (ds)
Song name :
[Disc 1]
01. ロシアの子守唄
02. いたずらをやめて
03. サー・チャールズ・アット・ホーム
04. ジーパース・クリーパース
05. 水辺にたたずみ
[Disc 2]
01. ランニング・ワイルド
02. マギー、二人が若かった時
03. 首尾よくゆけば
04. 古風な恋
05. みんな彼女が好き
06. サスペンション・ブルース
7. 新しい恋を
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メインコメント : ヴィック (ヴィクター) ・ディッケンソン (Vic (Victor) Dickenson 1906年8月6日~1984年11月16日) はアメリカ合衆国オハイオ州(Xenia)キセニアもしくはクセニア生まれのジャズ·トロンボーン奏者。
アルバムはヴィック・ディッケンソン、1963年・1954年の録音、原盤LPはヴァンガード・レーベルからのリリース。
CDは、キング・レコード・レーベルからのリリース、油井正一氏の日本語解説書付き。
プロデューサーのジョン・ハモンドが絶頂期のヴィック・ディッケンソンを冠にベテラン勢を集め、くつろいだ雰囲気で時間制限なしで自由にセッションが行われた結果、生まれた傑作。
ちなみに、インプロビゼーションとは即興演奏の事。
このアルバム 「中間派ジャズ」 とは、どんなものか文章では解りにくいが聴くと実感できる。
驚いたのは、聴いた後、ゆったりとした寛(くつろ)いだ気分になっていた。
ちなみに演目の邦題も中々洒落た訳が素晴らしい。
(青木高見)
ここでは油井正一先生のライナーをそのまま掲載させて頂く。
【中間派ジャズとは? 中間派ジャズとは、スウィング時代の末期からモダン・ジャズへの過渡期に、主としてコンボによって行われたスウィング・セッションを指す。欧米では 「主流派ジャズ」 Mainstream Jazz と呼ばれている。1930年代のはじめカンサス・シティで行われたジャム・セッションに端を発し、1940年代に入るやマンネリとコマーシャリズムに陥った白人ビッグ・バンド・スウィングへの批判勢力として、主として黒人のすぐれたプレイヤーたちが行ったコンボ・セッションである。時あたかもガレスピーやパーカーによるニュー・ジャズ …… ビ・バップがジャズの新興勢力として台頭しつつあり、その反動的現象として古い創生期のジャズへの郷愁がニューオリンズ・リバイバルを起こしつつあった。ビ・バップへ馴染み得ず、さりとて大昔のジャズへ後退する気にもなれなかった多くのベテラン・プレーヤーは、「オール・アメリカン・リズム・セクション」の別称まで得たカウント・ベイシー楽団のリズムを模範とし、その上に自由なインプロビゼーションを展開したのである。原則として編曲はなく、いわゆる「ヘッド・アレンジ」(打ち合わせ編曲)で、くつろいだジャム・セッションをくりひろげたのであった。】