青木高見のジャズコレクション Native Son (band) ネイティブ・サン


略歴
NATIVE SON ネイティブ・サン(NATIVE SON)は1978年3月に結成された日本のフュージョンバンド。
メンバーはキーボードが本田竹曠、ソプラノ・アルト・テナーサックスが峰厚介、ギターが大出元信、ベースが川端民生、ドラムが村上寛。
(青木高見)



【INDEX (リーダーアルバム)】
Native Son / Native Son (VICJ-23018) Native Son / Savanna Hot-Line (VICJ-23017)

【以下コンテンツ】


Native Son / Native Son (VICJ-23018) Native Son / Native Son (VICJ-23018)

Recorded :
November 29, 1978
December 5-6, 1978
December 8-9, 1978

Personnel :
Takehiro Honda (本田竹曠) (key)
Kohsuke Mine (峰厚介) (ts, as)
Motonobu Ohde (大出元信)  (e-g)
Tamio Kawabata (川端民生) (e-b)
Hiroshi Murakami (村上寛) (ds)
Damiao Gomes De Souza (cuica) #5

Song name :
01. Bump Crusing
02. Heat Zone
03. Breezin' and Dreamin'
04. Wind Surfing
05. Whispering Eyes
06. Twilight Mist
07. Super Safari
08. Whispering Eyes (reprise)

※ コメントの無断引用・無断転載を禁じます。
メインコメント : ネイティブ・サン(NATIVE SON)は1978年3月に結成された日本のフュージョンバンド。
LPは1978年11月・12月の録音、発売元がJVC(JVC)VIJ-6301番、8曲入り、ファースト・アルバム。
CDは発売元がビクター音楽産業株式会社、日本語ライナーノーツ、8曲入り。
メンバーはキーボードが本田竹曠、アルト・テナーサックスが峰厚介、ギターが大出元信、ベースが川端民生、ドラムが村上寛、クイーカがダミオン・ゴメス・ジ・ソウザ。
時は1970年代後半、日本は空前のバブル全盛期、音楽も大きく変貌した。
その真っ只中にデビューしたネイティブ・サン。
東京高円寺のライブハウス「JIROKICHI (じろきち)」でセッションを繰り返していたメンバーがバンド結成。
アルバムは30万枚の売上を記録した。
当時、法人のフュージョン・サウンドは聴いた事のない音で新鮮だった。
日本ジャズ史では純国産の快挙という事で貴重な資料になる。
(青木高見)





Native Son / Savanna Hot-Line (VICJ-23017) Native Son / Savanna Hot-Line (VICJ-23017)

Recorded :
August 1979
September 1979

Personnel :
Takehiro Honda (本田竹曠) (key, per)
Kohsuke Mine (峰厚介) (ts, ss)
Motonobu Ohde (大出元信)  (e-g)
Tamio Kawabata (川端民生) (e-b)
Hiroshi Murakami (村上寛) (ds)

Song name :
01. Animal Market
02. Sexy Lady
03. Savanna HotLine
04. In Search Of Beauty
05. African Fantasy
06. Farewell My Love

※ コメントの無断引用・無断転載を禁じます。
メインコメント : ネイティブ・サン(NATIVE SON)は1978年3月に結成された日本のフュージョンバンド。
LPは1979年8月・9月の録音、発売元がJVC(JVC)VIJ-6309番、6曲入り、セカンド・アルバム。
CDは発売元がビクター音楽産業株式会社、日本語ライナーノーツ、6曲入り。
メンバーはキーボードが本田竹曠、アルト・テナーサックスが峰厚介、ギターが大出元信、ベースが川端民生、ドラムが村上寛。
演奏はファーストは作曲が本田竹曠だったが、ここでは半分を峰厚介が担当。
今、あらためて聴くと、流行を追わない、地に足のついた大人の演奏であったことを再認識。
音楽業界でセカンド・アルバムの難しさは周知の事。
一般的にファースト・アルバムはノリと勢いだけで何とかなる。
問題はここからでロックの分野では、ひどいものはセカンドが出せずに空中分解するケースもある。
つまり、セカンド・アルバムとは、将来の生死を賭けた登竜門になる。
鮮明な個性の定着化、明確な方向性を打ち出さなくてならない。
あまり考えると演奏は卑屈になるし、考えなければ散漫になってしまう。
そういった意味ではネイティブ・サンはメンバーの1人1人が真の音楽家で芸術家であった。
だから時が経っても陳腐化しない。
(青木高見)




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